戦後70年 改めて福祉をもう一度考えませんか?

これまでの政府の論理と主権者のこれからの決意

2015年9月22日

集団的自衛権を行使できるようにする安全保障関連法が9月19日未明に、参院本会議で成立した。自衛隊の海外での武力行使を可能にしたことで、戦後日本の安全保障政策の大転換への大きな一歩を踏み出した。

国会での論議の実際、国民の意思・世論をまったく顧みることなく、結論先にありきで強行採決、議会制民主主義と立憲主義と平和主義を踏みにじって国会で可決したことは暴挙としか言えない歴史的事実である。同時に若者・女性・市民・学者などの歴史的な壮大な主権者運動も生み出された。これらの事実・現実・真実を一人ひとりの記憶のなかに焼き付けておくことで、私たちはつぎの国民的な運動の原動力としなければならないと決意している。いのちの使い捨て法制を断じて完結させてはならない。

 

◇「戦争は常に権力から遠い人間から死んでいく」

誰が戦争をはじめ、誰が戦場に行き、誰がどこまで責任をとるのかについて、きわめて無責任な法案でしかないことが明らかになった。

あらためて言うまでもないが、他国同士(特にアメリカの引き起こす)の戦争に参戦する「集団的自衛権の行使」を、憲法の解釈を変えることを通して法的に可能とするのが「安全保障関連法」の本質である。

戦争が起こればまず最前線に立つのは自衛隊員である。自衛隊員は入隊前の暮らしでみれば、権力から最も遠いところにいる、貧困層の人々である。戦前の日本の侵略戦争においてもそうであったし、今後に想定される「経済的徴兵制」のしくみも同様に貧困層から調達される仕組みである。

権力層の中枢、政治家、富裕層などは戦地に赴くことはないし、“後方支援”にさえも関わることはない。安全な場所で、戦争をはじめ、戦況を眺め、戦争を指示するのである。そして戦争と犠牲者への責任をとることはない。

戦争の犠牲者へのケア・援助・治療をするのは、福祉・医療・教育などに携わる専門職である。福祉領域が“戦争の後始末”としての役割を担うことは断固として拒否をするものである。そうした歴史を繰り返させてはならない。

 

◇この間の安倍首相・法案推進派の論理を考える-3つの論点-

安全保障関連法案が戦争への道に連なる法案であることが、この間の論議を通してますます明らかになってきた。まさに戦争推進法の本質があらわになったと言わざるをえない。

国会で可決したこの時期に、安倍首相と法案推進派の論理のトリック(ごまかし、策略)を整理しておきたい。

まず、集団的自衛権をめぐる論議に関して、自民党の高村副総裁は「自衛の措置が何であるか考えるのは、憲法学者ではなく我々政治家だ」というが、一方で村山談話や侵略戦争の評価などの歴史認識に関しては、安倍首相は「後世の歴史家の判断にゆだねる」と言ってきた。都合よく政治家と学者の役割を使い分けており、言葉の重みがまったく感じられない。政治家たる存在の軽さをひしひしと感じる日々であった。歴史家に委ねるのは、政治家の歴史認識が正しかったかどうかの判断であって、政治家は歴史認識を他人に委ねることなどあってはならないはずである。

つぎに、安全保障環境の現実が変化したことへの対応をするための法案だと繰り返しながら、もう一方では1959年(56年前)の「砂川(最高裁)判決」から安保法案の正当性を主張するなど、一貫性のない主張そのものであった。現実から出発した法理や論理を一貫して論じえなかったこと自体が法的安定性を欠如した論理展開であった。

3点目に、国民のいのちとしあわせを守るために必要な法案であると喧伝してきたが、実際には社会保障関係予算を、2015年度予算でいえば3900億円の削減を決定してきた。その額はアメリカから購入する垂直離着陸機オスプレイ17機分(総額3600億円、1機当たり212億円)とほぼ同じである。いま生きている国民のいのちを削り暮らしを守ろうとしない政治家に、未来の国民のいのちとしあわせを守ることができるはずがない。

いま国民の理解を得られない状況であっても、安倍首相は「法案が成立し、時が経ていくなかで間違いなく理解が広がっていく」(参院特別委員会、9月14日)と、高をくくっている。主権者、若者を見くびった、政治家の鈍感な経験値そのものである。

国会と国民の意思の逆転状況こそがこの国の問題なのである。さらに憲法に基づいて政治を行う政治の基盤である立憲主義を踏みにじり、人・政権が憲法の上に立って政治を一内閣が思うようにすすめるという、さすが名前通りの“あべこべ”政治である。

 

◇戦争と社会保障の充実は両立しない

戦争に向かう国では、国家予算に占める「直接軍事費」の割合は、厖大に膨れ上がっていく。国家予算に占める軍事費の割合は、日清戦争時で69.2%、日露戦争の時期には82・3%、太平洋戦争の末期には85.6%を占めるまでになった。使途の8割以上を占めたのは兵器を中心にした物件費であった。戦争は儲ける企業があるということである。戦費のうち、民間企業に支払われたのは少なく見積もっても7割以下になることはない。

そうした実際をみても、福祉と戦争は両立することはない。

わが国の第二次大戦後の歴史をみても、戦災孤児・浮浪児のための収容施設である児童養護施設、戦争で夫を亡くした寡婦と子どものための母子寮(現在の母子生活支援施設)、戦争で重傷を負った傷痍軍人のための身体障害者施設などによって、戦争犠牲者のためのケアと救済の制度として福祉は戦後に再出発をすることになった。

戦争に向かう時代には、最も弱き人々がまずは切り捨てられる。障がい者、貧困者、沖縄の地など、こうした戦争と福祉の負の歴史を再び繰り返すことがあってはならないと決意している。

 

◇一人ひとりの勇気と行動が時代を変えていくという確信

安全保障関連法をめぐる闘いの経験は何物にもかえがたい国民の体験となり、民主主義のつくり方を学習することになったことに確信を持ちたい。若い人たち、学生の姿はまさにこれからの日本の未来である。時代は変わりつつある。それも急激に。憲法を私たちのものに、そして政治にホンモノの民主主義を根づかせる大きな歴史の転換点を創りだしていることを身震いしながら感じている。

「三歳の 国民連れて デモに行く」(平和の俳句、「東京新聞」9月16日)

「若者の シュプレヒコール 平和道」(BY 浅井春夫)

戦争推進法を廃棄するために、最高裁までの法廷での闘いが準備され、違憲である法律を正していく運動が次に待っている。さらに戦争推進法の廃棄をめざす国会議員を選び直す運動がある。国民を愚弄した政治には強烈なしっぺ返しが待っていることを教える義務と権利が主権者である国民の側にある。

戦争と平和、憲法、日本の未来を考える主権者である国民の大学習運動期間であったことを踏まえて、アベノミクスに抗して“コクミニクス”(国民ぐるみ運動)の次の矢を準備することが必要となっている。

「絶望とは愚か者の結論である」(イギリスの政治家、小説家であるディズレーリ)という言葉があるが、「希望とは正義を貫こうとする者の指針である」といいたい。

もっと重要なラウンドが待っている。怒りを持ち続け、勇気をふるって、未来を私たちの手で創っていく時代になったことを確信する。

戦争と福祉をみんなで考える会呼びかけ人代表 浅井春夫 2015年9月20日

コメント

上村 正朗 [ 2015年9月23日 ]

勉強させていただきます❗

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です